sanuki story project

182六角堂にて 香川県  喜田清さん
その他
11月30日。午後2時頃。私は高松市中野町にある六角堂の
前に来ました。すると、二歳と三歳くらいの幼児が遊んでいて
母親らしきご婦人もいました。なんとなく、私から挨拶しました。
「すみません。間もなく亀阜小学校の子どもたちがここに来
ます。私、その子供たちに六角堂の説明をしますので、此処で、
しばらく待たせてください。」

若い母親も、ここに自分かいることを説明してくれました。
「この子たちのお兄ちゃんが、間もなく亀阜幼稚園のバスで、
帰ってくるので、それまで私も、ここに居ります。」すると二人の幼児は、私の足元に、並んで座ってくれます。まるで子犬が二匹並んで座ってくれたのと同じです。

幼稚園のバスが来るのと、50人ばかりの小学生が来るのと、同時になりました。
「お母さん。私は失礼して、小学生に六角堂の説明をします。」

1945年7月。太平洋戦争の最末期に高松市はアメリカ空軍
の空襲により壊滅しました。空襲による死者は、1359名です
が、特に中野町の惨状が言語に絶するもので、戦後、空襲犠牲者
の御魂(みたま)を慰めるため、ここに慰霊堂が建てられました。

そんな事を、私は小学生たちに語りましたが、三人の幼児を連れ
た母親も、小学生の集団の後ろで、私の言葉を聞いていました。
ここで約一時間の話をした私は、小学生と、近くの亀阜小学校へ戻り、さらに一時間。空襲の話を続けました。その頃には、お母さんも三人の幼児も、姿はなかったです。でも私は、生徒たちに
分かりやすく、話が出来ました。

「皆さんは、さっき、六角堂で、美しいお母さんと、皆さんの
弟や妹みたいな幼児を見たでしょう。」
高松空襲とは、そのような人々の悲惨な死である事を、私は語りました